神、共にいまし
聖書:ヨブ 42章1節ー6節
メッセージ : ポール鈴木
通訳 :Eri
1. 豊かなヨブの前半の人生
2. ヨブの試練
3. 試練の原因とは何か?
4. 神、共にいまし
5. 神さまからの呼びかけと悔い改め
ミニチャーチノート :
聖霊さまは何を教えてくれましたか?
礼拝中 1分15秒あたりのところのシーンを観ていました
Comments
Comment from Rio
Time 2012-01-26 at 14:44
今回のメッセージは特に心に響きました!
良いことをやっていても、人生に悪いことが起きることはありますが、ヨブの様に苦しみの中でも神様の素晴らしさと、自分の醜さを忘れずに走って行きたいです!
Comment from Pastor
Time 2012-01-23 at 18:36
最近、スポーツを見ていると“逆転劇”をよく見る。お正月恒例の全国高校サッカーの決勝戦、後半45分が過ぎ試合の勝敗はほぼ見えていた。表示されたロスタイムは2分、勝っているベンチには勝利を予感してすでに涙を流している選手さえいる。負けているチームは90分無得点。勝っているチームは、あとは主審の試合終了の笛の音を待っている。しかし、そのロスタイムで、負けているチームが得点したのだ。結局、延長戦になりさらに得点して、逆転で勝負がついた。去年は、なでしこジャパンが逆転して世界一になった。箱根駅伝では、去年の大会で21秒差で負けた大学が、今年は雪辱に向けて努力し大会新記録で優勝した。スポーツには、勝者がいて、ゴールがある。クリスチャン生活とは、何かスポーツに近いものがある気がする。
人間だれにでも、この地上での試合終了の時がある。やがて終了のホイッスル(笛)が鳴る。神様が、あなたに向かい笛を吹く時が来る。でもそれが何時か誰にも分からないが、しかし必ず来る。
最後まで確り走り、その笛が鳴るまで全力で事をおこわなければならない。では、私たちの“人”のゴールとは何か、何が人生の土台か知る必要がある。
私たちクリスチャンの勝利とは何か?
何が真の人生か、信仰の土台とは何か?
今日は聖書の中で最も難解のヨブ記から、ここに示されている究極のゴールと信仰の土台について語りたいと思います。
ヨブは正しく潔白な人で、東の国で最も豊かな人物であった。現代風では、マイクロソフトのビル・ゲーツのような存在である。ところが、サタンが神様の赦しを得てこの正しき潔白な富豪の財産を失い、子どもたちは死にました。しかし、ヨブはそれでも神を恨まず、愚痴を言わなかった高潔な信仰者だったのだ。サタンはさらに追い打ちをかけ、今度はヨブの体を病にして苦しめました。
友人が慰めに来たが、結局ヨブの因果応報にて何かの罪のために神から罰を受けていると考えた。さすがのヨブもあまりの苦しさに自分の生まれて来たことを呪ったほどです。
人が苦しむのは、呪いでもなく、罪の結果でもない時がある。しかし、人は会っている苦しみの原因を知りそれを理解しようと努力する。友人たちも、ヨブのこの理由をさがそうするが・・・。
そこに突然、神様が介入して来きて語り始めた。しかし、その神様の言葉の中には、ヨブの疑問への答えは何も無かったが、ヨブはすぐに悔い改めの告白をした。
ここの究極の信仰者の姿勢があり、土台があると思います。ヨブは2つのことを悟ったのです。
① 神様が語りかけた事。
② 神様がこの苦しみの見ておられ、共におられた事。
今まで人間レベルの議論の中で、この試練の原因を探り語り合っていた。しかし突然、神様が語り始めた。
人間同士の水平レベルの視点から、上からの語りかけがありました。“私”という自分中心軸から、上からの神様の御ことばへシフトしたのだ。
私たちが神に祈る時に、自分の必要、自分の願い、それは神様の為の祈りだったりするが、でも人間レベル考えた私から神様への語りなのです。
しかし、最も重要なことは“神様が何を語っているか”が重要なのです。ここに神様からの召しcallingとは何かが分かります。
そして、信仰の土台とは“神様が共にいることを悟る”ことなのです。ヨブは、この2つを悟ったときに全ては解決したのです。神様を見て、神様の声を聴き、神様が共にいて下さるで十分だったのです。
もはや議論も、試練の意味も知る必要も無かったのです。そしてむしろ、さらにへり下さり悔い改めるというさらに低い姿勢に導かれました。この姿こそ、信仰者の姿であり真の勝利者の姿に近いと思います。
イエス様は父なる神様の御こころ成し遂げるために、十字架にかかり死なれました。ここに真の勝利者がいる。それは“私”でなく、父なる方のお声を聞き、その道に歩んだから真の勝利者になられたのです。今やこの真の勝利者が語りかけて下さり、共にいて下さる。これを悟り、このお方にお従いすることこそ“勝利”であり、“土台”なのです。また、キリストのように似ることこそゴールなのです。
神様が笛を鳴らす時まで、確り走ろうではありませんか!